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「美味しいですね!」
「ふふ、それはよかった」
頬張った瞬間浮かんだ笑顔に、こちらも頬がゆるむ。
「好きなだけ食べていいよ。腐りやすいそうだから」
「ありがとう御座います……!頂きます!」
弾むような声が心地いい。小さな赤い実をかじる秀麗を眺めて、彼女の家人もとい上司という名の鬼から頂いた心労が溶けてゆくのを感じた。汁気の多い果実だから時折口の端を舐める舌先がちろりと覗く。本当に美味しそうに次々取っていくから、持って来すぎたかもしれないという心配は杞憂だったようだ。喜んでもらえたようでほっとする。
府庫で彼女を見かけたときはそれこそ鬼のような面相で筆を走らせていて、声をかけるのも躊躇われた……どころかむしろ一歩後退りしてしまったのだが。御史台に入るだけの地位はないから、ちょうど外に出ているときに会えた事に感謝した。最悪差し入れだけ置いていこうかととりあえず話しかけたら、一緒に昼食にすることになったのだ。
彼女はまたひとつ手にしてから、ふと顔を上げた。
「楸瑛様は召し上がらないんですか?」
「ん?あ、ああ……昨日結構食べたからね。市で買ったらおまけしてくれて」
「甘酸っぱくて美味しいですね。見たことない果物ですけど」
「昔藍家で食べたことがあったけど、それ以来見てなくてね、懐かしくて買ったんだ。気に入ってもらえたようでよかった」
すると彼女は一瞬驚いたような顔を浮かべて固まり、それから少し気不味げに口を開いた。
「すみません奢って頂いてしまって」
「いや、以前はいつも御馳走になってたし……ああ、お金なら下っ端でも朝廷の武官だから大丈夫」
「でも……」
「秀麗殿が美味しそうに食べてくれたから、それで十分だよ」
微笑んで、彼女の手を掬い果実をついばむ。遠い昔食べたものより酸っぱいそれは、けれどずっと美味しく感じた。
彼女は目を丸くしてから、はっとして手を取り返すと額を抑えた。
「あの……此処は朝廷の、普通の回廊の、欄干の上なんですが」
「そうだね」
「人が通ったらどうするんですか!」
「ここまで来る人はそれ程いないと思うよ。それに」
皿に残ったひとつを取って一口に頬張る。
「なかなか会えないから、隣に居られるのが嬉しくて」
そのまま彼女の顎を掬い口付ければ、甘酸っぱい香り、甘く、甘く、甘い。
久々の感覚に、神経までが甘く痺れる。
「…………っ、楸瑛様!」
胸を押され名残り惜しく離れれば、睨みつけられた。そのあまりの鋭さに平手が飛んでくるかと一瞬ひやりとする。
「場所を考えてくださいっ」
「いつも朝廷でしか会えないじゃないか」
ふい、と横を向かれた。本格的に怒らせたかと窺えば、ぐるぐると何事か考えているようだった。頬が紅い。
やがて下を向いたかと思うと、ぽつりと問いかけられる。
「市、自分で行かれてるんですよね?」
「それ以外にないからね」
「……なら今日は、一緒に市に寄って帰りませんか」
「……ふふ、是非」
愛しさに思わず抱き締めれば、甘んじてことんと体重を預けてくれた。
「でも……ほんとに周りは気にしてください……」
「私のことも気にしてくれるなら、ね。寂しかったよ」
「……」
「それじゃあ夕刻迎えに行くからね」
腕を解いて欄干から降りる。未だ紅潮した彼女の顔を眺めつつ、微笑んで手を貸した。
手を取り下りた彼女は、しかしその瞬間ぐいっと顔を上げた。
「あっ……は、早く戻らないと!果物ありがとう御座いました!」
慌てて駆け出すその背中を見送って、ほんの少し寂しさと苦笑が浮かぶ。
唇に、手に、残る彼女の感触を抱きつつ、約束を心にそっと収めた。